130年経っても変わらない人間の「業」:樋口一葉『にごりえ』が映し出す現代の「にごり」
- 2025.06.10
- コラム

今から130年前、明治28年(1895年)に発表された樋口一葉の短編小説『にごりえ』。
貧困と差別が渦巻く下層社会を舞台に、そこで生きる人々の苦悩と、どうしようもない人間の「業(ごう)」を描いたこの物語は、時を超え、私たち現代社会にも深く響き渡る問いを投げかけています。
「130年前の物語が、今の私に何の関係があるの?」そう思われるかもしれません。
しかし、『にごりえ』のページをめくれば、そこに描かれているのは、まさに現代社会の片隅で、あるいは私たち自身の心の奥底で蠢(うごめ)いている、普遍的な人間の姿そのものだと気づかされるはずです。
1. 『にごりえ』の舞台:華やかな裏側の「にごり」
物語の舞台は、東京の遊里、銘酒屋(みせ)「菊の井」。
主人公は、この店で一番の売れっ子酌婦(しゃくふ)であるお力です。
「吉原は一目につくばかり、此処は其の蔭に隠れたり。」
一葉は冒頭で、吉原のような公許の遊廓ではない、裏通りの小さな店である菊の井の位置づけを明かします。華やかな表舞台の陰に隠れ、法の網の目を潜り抜けるようにして営まれる銘酒屋は、まさに社会の「にごり」の象徴とも言えます。
お力は、美貌と機転の利く性格で客を魅了します。しかし、その華やかさとは裏腹に、彼女の心は常に深い憂いを抱えています。
「たゞさむざむとして、身に沁むばかりの寂しさ、此の世に生きるを嬉しとも思はれぬは、なにが因(もと)なる。」
この一節は、お力の心の奥底に宿る絶望感、そして生きる意味を見出せない虚無感を如実に表しています。華やかな笑顔の裏で、彼女は毎日、身を売るという行為に深い嫌悪感を抱き、自己の存在価値を見失っているのです。
2. 貧困が生み出す悲劇:「金」が人の心を蝕む
お力がこの世界に身を置くことになった最大の要因は、貧困です。作品の中では直接的な描写は少ないものの、彼女がこの稼業を選ばざるを得なかった状況が示唆されます。そして、この「金」という問題は、他の登場人物の人生も大きく狂わせていきます。
お力に執着し、彼女に通い詰める元大工の源七は、そのために仕事も家庭も顧みなくなり、泥沼にはまっていきます。
「この店を明けしより、源七はふつと此の店にふき込まれて、何一つ手に付かぬやうになれる。」
源七はお力に入れ込むあまり、自分の大工の仕事をおろそかにし、ついに妻のお初や幼い娘のおまきまで捨ててしまいます。
「金が、金が、とて人の胸にわだかまるに、このおれは、たゞ力にあはれなりと、こはゆきにすまされて日をくらすも、しらずしらず身はうせて、我とも思はれぬやうになれるぞや。」
源七のこの独白は、金銭の追求ではなく、お力への執着によって自らを破滅させていく男の「業」を象徴しています。彼は自分の感情を抑えられず、最終的には全てを失ってしまいます。
貧困は、人々の心を荒廃させ、道を踏み外させる大きな要因となります。お力は生きるために身を売り、源七はお力に通うために仕事を捨て、家族を失う。どちらも「金」という現実と、それを巡る人間の欲望や弱さが絡み合い、悲劇を生み出しているのです。
この構図は、現代社会においても形を変えて存在しています。経済的な理由で非正規雇用を選ばざるを得ない人、過酷な労働環境に置かれる人、あるいは金銭を巡って家族関係が破綻するケースなど、枚挙にいとまがありません。
3. 愛情と執着、そして破滅:人間の心の「にごり」
『にごりえ』で最も深く描かれているのは、人間関係の複雑さ、特に愛情と執着がもたらす心の「にごり」です。
源七がお力に抱くのは、純粋な愛情というよりは、執着に近い感情です。彼は、お力が他の客と親しくすることを激しく嫉妬し、憎悪さえも露わにします。
「あの男(ひと)が、とふつと心にまゐりしより、胸にはこしれに石を据ゑつけたり、夜々(よなよな)酒をくんで、たゞあてなき物になれて、口にはうとまれ、身はしなへに朽(くち)はててゆくも、いかでこのまゝにてしなでしまはん、恨みあるものに、あの人に、何ぞこのままにておくべき。」
この源七の言葉からは、嫉妬と恨みが渦巻き、破滅へと向かう彼の心の闇が読み取れます。彼は、自分が人生の全てを捧げた対象であるお力が、自分から離れていくことを許せないのです。
一方、お力もまた、新しい客である結城朝之助に淡い希望を抱きます。彼は、お力に差別なく接し、彼女の苦悩を理解しようとする数少ない人物です。
「人の心の底まで踏入(ふみい)りて、何故(なにゆえ)此処に身を寄する、その苦しみを言ひ出させよと、責(せ)むるが如くに、優しい眼付(まなざし)して、お力の顔を覗きこむ。」
朝之助の優しさに触れ、お力は「普通の女」としての幸せを夢見ますが、それも長くは続きません。彼女は、源七との過去の因縁から逃れられないことを悟ります。お力は、決して自分の意志では抜け出せない世界に捕らわれていると感じています。
「いとほしや、わが身も人に知られたやうなれば、心は千々に乱れて、今更に身の罪をさへ思ひわぶるに、此処に住んで、はるかに知らぬ道、我を知る人もありとて、いかでこのまゝにて生きてゐるべき。」
彼女のこの心の叫びは、自分の置かれた境遇から抜け出せない絶望と、社会からの偏見に苦しむ魂の慟哭(どうこく)です。
そして物語は、衝撃的な結末を迎えます。
源七は、お力を刺し殺し、自らも命を絶つという悲劇的な心中を遂げるのです。
これは、愛情が純粋なものではなく、執着や支配欲、そして絶望と結びついたとき、いかに人間を破滅へと導くかを示しています。現代社会におけるストーカー行為や、DV、あるいは歪んだ恋愛感情から生まれる事件など、愛情と執着の危うさは、今もなお普遍的なテーマとして存在しています。
4. 救いのない孤独と人間の本質
『にごりえ』の登場人物たちは、誰もが深い孤独を抱えています。
お力は、大勢の客に囲まれていながらも、誰にも心の底を打ち明けることができません。彼女の笑顔は、仮面に過ぎないのです。
「ああ、いとほしや、いとほしや、我が身はこれほどにまで、とさもあらばあれ、人の知らぬ身、心に隠す事を、たださもあらばあれとて、つとめて笑みゐるのみなるべし。」
この言葉は、お力の内面の深い孤独と、社会で生き抜くために偽りの笑顔を張り付けざるを得ない悲劇的な状況を浮き彫りにしています。彼女は、自分の真の苦しみや感情を誰にも理解してもらえないという絶望を抱いています。
源七もまた、お力への執着から周囲が見えなくなり、孤立していきます。彼の妻であるお初も、夫の心の変化に気づきながらも、為す術もなく苦しみます。
「女の心はさだかにも、男の心をいかでか知るべき、たゞあはれ、あはれとて、身をもすてんと思ふばかり。」
お初は、源七の心を理解できず、ただ夫を失う悲しみに打ちひしがれるばかりです。それぞれの人物が抱える孤独は、読者に深い共感を呼び起こします。
一葉は、この作品を通して、人間は本質的に孤独であり、たとえ親しい関係の中にあっても、心の全てを理解し合うことは難しいという、普遍的な真理を提示しているかのようです。現代社会においても、SNSで繋がっているように見えても、心の奥底で深い孤独を感じている人は少なくありません。
5. 時代を超えて問われる「にごり」:私たちは何を変えられたのか?
『にごりえ』が発表されてから130年。この長い時間を経て、私たちは何を変えることができたのでしょうか?
- 貧困: 絶対的貧困は減少しましたが、経済格差は広がり、相対的貧困の問題は依然として深刻です。非正規雇用、ワーキングプア、子どもの貧困など、形を変えた「金」の問題は、多くの人々の人生を縛っています。
- 差別と偏見: 職業や学歴、地域、性別、人種、性的指向など、様々な形での差別や偏見は未だに存在します。SNSでの誹謗中傷や、特定の属性の人々への根拠のない攻撃なども、現代的な「にごり」と言えるでしょう。
- 人間関係の複雑さ: 『にごりえ』に見られるような愛情と執着、嫉妬、裏切りといった感情は、現代の人間関係にも普遍的に存在します。特に、インターネットの普及により、これらの感情がより複雑に、そして時には匿名性を悪用した形で表面化することもあります。
- 女性の生きづらさ: 女性の社会進出は進みましたが、依然として育児と仕事の両立の難しさ、賃金格差、ガラスの天井など、女性が抱える生きづらさは完全に解消されていません。
一葉は、130年前にこれらの「にごり」を鮮やかに描き出しました。そして、その作品を今読み返すことで、私たちは、人間が抱える本質的な問題が、どれほど根強く、そして普遍的であるかを痛感します。
6. 『にごりえ』から学ぶ現代の智慧
では、私たちは『にごりえ』から何を学ぶべきなのでしょうか?
- 社会の「にごり」に目を向ける勇気: 『にごりえ』は、決して心地よい物語ではありません。しかし、目を背けたくなるような現実や人間の心の闇にこそ、社会が抱える問題の根源があります。現代社会に存在する貧困や差別、不合理な構造に目を向け、問題意識を持つことの重要性を教えてくれます。
- 人間の心の複雑さを受け入れる: 物語の登場人物たちは、決して単純な「善人」や「悪人」ではありません。誰もが多面的な感情を抱え、葛藤し、過ちを犯します。人間の心の複雑さや、完璧ではない部分を受け入れることで、他者への理解を深め、自分自身の心とも向き合えるようになるでしょう。
- 「業」と向き合い、自らの行動を省みる: 源七の破滅は、執着という「業」がもたらした結果です。私たち自身も、知らず知らずのうちに、執着や嫉妬、見栄といった「業」に囚われていることがあります。作品を通して、自分自身の行動や感情が、周囲に、そして自分自身にどのような影響を与えるかを省みるきっかけにすることができます。
- 見えない苦しみに寄り添う心: お力のように、華やかな笑顔の裏で深い孤独を抱えている人は、現代にも多くいます。彼らの見えない苦しみに気づき、寄り添うことのできる心を育むことの重要性を教えてくれます。
結び:130年後の私たちへ、一葉からのメッセージ
130年前の作品でありながら、『にごりえ』が今もなお私たちに強い衝撃と示唆を与えるのは、樋口一葉が、時代や社会の表層ではなく、人間の普遍的な心の奥底を鋭く見つめ、描き出したからです。
作品の最後の場面、源七がお力を殺し、自らも命を絶った後、現場に残された情景が描かれます。
「庭は雨に打たれて、まこと寂しきばかり、いづこよりか来りしに、犬のしきりにほゆる声ばかり、いとゞ寂しきばかり、人の影もなく、たゞ雨の音ばかり、しきりに聴えければ。」
この静かで、しかし深い悲しみと虚無感を漂わせる描写は、人間の「業」がもたらした結末の、言いようのない無常観を表現しています。そしてそれは、たとえ時代が変わっても、人間の愚かさや悲劇が繰り返されることへの警鐘とも受け取れるかもしれません。
しかし、この作品は、私たちに絶望だけを突きつけるものではありません。人間の「にごり」を直視することで、私たちは自分たちの内面に光を当て、社会のあり方を問い直し、より良い未来を築くための第一歩を踏み出すことができるはずです。
『にごりえ』は、私たちに、「人間は何一つ変わることができないのか?」という問いを突きつけながらも、その問いかけ自体が、私たちに変化への希望と、現状を打破する勇気を与えているのではないでしょうか。
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