苦悩のただ中にある「光」を見出す:神谷美恵子『生きがいについて』が教えてくれること
- 2025.06.07
- コラム

現代社会は、私たちの「生きがい」を揺るがす様々な要因に満ちています。変化の激しい時代の中で、仕事や人間関係、健康問題、そしてAIの進化による将来への不安など、私たちの心は常に揺さぶられています。そんな時代だからこそ、私たち一人ひとりが「何のために生きるのか」「何が自分を支えるのか」という問いと真剣に向き合うことが求められているのではないでしょうか。
今回ご紹介するのは、精神科医・神谷美恵子の著書『生きがいについて』(みすず書房)です。ハンセン病療養所での長年の臨床経験と、自身が病と闘った経験から紡ぎ出された本書は、人間の根源的な「生きがい」というテーマを、これほどまでに深く、そして温かい眼差しで探求した類を見ない名著です。1966年の刊行以来、半世紀を超えて読み継がれるこの本は、私たちに何を教えてくれるのでしょうか。
「生きがい」とは何か? 苦悩の中で見出す「生存充実感」
神谷美恵子はこの本で、「生きがい」という言葉を明確に定義するところから始めます。それは決して、華々しい成功や幸福だけを指すものではありません。むしろ、苦しみや困難の中にあってもなお感じられる、人間の根源的な「生きていてよかった」という感覚、すなわち「生存充実感」こそが「生きがい」の本質であると示唆します。
「『生きがい』という言葉は、たしかに、私たちの心理の最も奥底のところに、生命の燃えるような、あの『生存充実感』の根をおろしているものだということを、私は確信するのである。」 (『生きがいについて』岩波現代文庫版、P.20)
彼女は、ハンセン病という重い病を患い、社会から隔絶された人々が、それでもなお、それぞれの「生きがい」を見出し、尊厳をもって生きる姿を丹念に観察し、記録しました。そこには、病気によって体が蝕まれても、愛する人を失っても、あるいは過去の罪に苛まれても、人間が生きる意味を失わない強さが描かれています。
神谷美恵子は、生きがいを求める心が人間にとって根源的なものであることを、こう指摘します。
「人間が生きがいを求めつづけるのは、彼が、彼の生命の欲求の奥底に、生きることを喜ぶ生命そのものの充実感を、たえず求めてやまないからにほかならない。」 (同、P.22)
この言葉は、どんな状況にあっても、人間が生きることを肯定しようとする、本能的な欲求の存在を教えてくれます。
生きがいは「与えられる」ものではなく「見出す」もの
現代社会では、「生きがい」という言葉が、まるで誰かに与えられるプレゼントのように語られることがあります。しかし、神谷美恵子は、生きがいが、決して外から与えられる受動的なものではなく、困難な状況の中にあっても、私たち自身が能動的に「見出し、創造していく」ものであることを示します。
特に、苦しみや不運によって生きがいが奪われる状況において、人間がどのようにして新しい生きがいを見出すのか、そのプロセスを詳細に分析しています。彼女はそれを「代償」「変形」「置き換え」といったパターンで説明します。
「私たちはどんなに不幸な運命に遭遇しても、絶望から立ち直って新しい生きがいを見出すことができるのである。」 (同、P.73)
この言葉は、私たちに大きな希望を与えます。例えば、病気でそれまでの仕事ができなくなった人が、新しい趣味やボランティア活動に打ち込むことで、新たな生きがいを見出す。あるいは、愛する人を失った悲しみの中から、その人のために何かを成し遂げようと決意する。これらの事例は、まさに生きがいが「再創造」されるプロセスを示しています。
神谷美恵子は、人生の苦難を避けられないものとして受け入れ、その中でいかにして「意味」を見出すかというフランクルのロゴセラピーの思想にも通じる視点を持っていたと言えるでしょう。
「精神的な生きがい」の多様な光
本書で特に示唆に富むのは、単なる物質的な豊かさや地位、名誉といった外的な要素にとどまらない、「精神的な生きがい」についての考察です。神谷美恵子は、これを大きく四つに分類しています。
認識と思索の喜び:知的好奇心を満たすこと、真理を探求することの喜び。学問や研究だけでなく、日々の疑問を深く考えることなども含まれます。
「人間は、真理を認識し、世界を思索することによって、彼の生存充実感を最高度に高めることができる。」 (同、P.201)
審美と創造の喜び:芸術を鑑賞したり、自ら何かを創造したりすることの喜び。絵を描く、音楽を奏でる、文章を書く、あるいは料理を作るなど、日常生活の中にも創造の喜びは存在します。
「美を創造し、美に触れることの喜びは、人間の魂を最も深く充実させるものの一つである。」 (同、P.220)
愛の喜び:他者を愛し、他者から愛される喜び。家族、友人、恋人、あるいは見知らぬ人への慈しみなど、様々な形があります。これは、最も普遍的で根源的な生きがいの源泉の一つです。
「愛は、人間の生きがいを最も深く、広く、そして純粋な形で与えるものであり、最も強い生命の源である。」 (同、P.245)
宗教的な喜び:信仰を通じて、絶対的な存在や超越的なものと結びつくことの喜び。これは、神谷美恵子自身がキリスト教徒であったことも影響していますが、特定の宗教に限定されるものではなく、宇宙や自然との一体感、あるいは普遍的な真理への畏敬の念といった広義の精神性を含みます。
これらの精神的な生きがいは、物質的な条件に左右されにくく、内面から湧き上がってくるものです。病気や困難によって、それまでの生きがいが奪われたとしても、これらの精神的な営みを通じて、人は新しい生きがいを見出すことができるのだと本書は教えてくれます。
苦悩の先に「生きる意味」を見つめる眼差し
神谷美恵子は、ハンセン病患者との対話の中で、彼らが抱える身体的苦痛、社会からの差別、未来への絶望といった、想像を絶する苦悩と向き合いました。しかし、彼女はそこで絶望するのではなく、むしろ苦悩のただ中にある「人間の尊厳」と「生きる意味」を見出し続けました。
「苦悩は、人間を精神的に成長させる大きな契機となることがある。」
この視点は、単なる楽観論ではありません。苦悩を安易に肯定するのではなく、苦悩を経験するからこそ、人間がどれほど深く、そして強くなれるのか、という人間の可能性への深い信頼が込められています。
神谷美恵子の文章は、常に冷静で客観的であると同時に、読み手の心に深く響く優しさに満ちています。それは、彼女自身が、数々の病や愛する者の死という苦難を経験し、それらと真摯に向き合ってきたからに他なりません。彼女の言葉は、頭で理解するだけでなく、身体全体で感じられるような説得力を持っています。
私たちの「生きがい」を見つめ直すために
『生きがいについて』は、決して「こうすれば生きがいが見つかる」というハウツー本ではありません。むしろ、人間存在の根源にある問いを深く掘り下げ、私たち一人ひとりが自身の人生と向き合い、自分にとっての「生きがい」とは何かを自ら見出すための、静かで力強い手引きとなるでしょう。
もし今、あなたが何らかの困難に直面していたり、生きる意味を見失いかけていると感じているなら、ぜひこの一冊を手に取ってみてください。神谷美恵子の言葉は、きっとあなたの心の奥底に静かに語りかけ、苦悩のただ中にも、小さくても確かな「光」を見出す力を与えてくれるはずです。
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