なぜ人は「怖い話」を求めるのか? YouTubeブームから紐解く、現代社会と人間の心の奥底
- 2025.06.16
- コラム

近年、YouTubeを開けば、心霊現象、都市伝説、未解決事件、そして「意味が分かると怖い話」といった多種多様な「怖い話」コンテンツが溢れかえっています。
かつてのテレビ番組や口承に代わり、デジタルプラットフォームが新たな恐怖の語り場となっているこの現象は、単なる一過性のブームとして片付けられない、現代社会と人間の深層心理を映し出す鏡であると言えるでしょう。
人文科学、特に心理学、社会学、文化研究、そして哲学的な視点から、この興味深い流行の背景を読み解いていきます。
1. 「安全な場所」での「非日常」体験:心理学的カタルシスの追求
人間が恐怖という感情に惹かれるのは、古くから存在する普遍的な現象です。心理学的には、怖い話は私たちに「安全な場所」から「非日常」を体験する機会を提供します。
精神分析学の創始者フロイトは、人間の心には意識的な部分だけでなく、無意識の領域が存在すると説きました。怖い話は、普段は抑圧されている根源的な恐怖(死への不安、未知への恐れ、秩序の破壊など)に触れることで、一種のカタルシス(感情の浄化)をもたらします。私たちは物語の中の登場人物に感情移入し、彼らが直面する恐怖を間接的に体験することで、現実のストレスや不安からの解放感を得るのです。
また、恐怖体験は脳内でドーパミンやアドレナリンといった神経伝達物質を分泌させ、興奮状態をもたらすことが知られています。これは、ジェットコースターやホラー映画を楽しむのと同様の生理的反応です。自宅という安心できる空間で、手軽にアクセスできるYouTubeの怖い話は、この「管理されたスリル」を手軽に味わうための最適なツールとなっていると言えるでしょう。現代社会のストレス過多な状況において、この手軽な興奮剤としての役割は無視できません。
2. 不安の可視化と共有:社会学的・実存的視点から
怖い話の流行は、現代社会が抱える構造的な不安とも密接に結びついています。経済の不安定さ、先行きの不透明感、頻発する自然災害、情報過多による疲弊、そしてSNS社会における人間関係の希薄化など、私たちは日々、漠然とした「先行きへの不安」に晒されています。
社会学者のエミール・デュルケームは、社会には個人の意思を超えた「集合意識」や「集合表象」が存在すると述べました。怖い話は、こうした社会全体に漂う「漠然とした不安」を具体的な物語や現象として可視化する役割を果たします。例えば、都市伝説に語られる見えない存在や、理不尽な事象は、まさに現代人が抱える「見えない脅威」や「コントロールできない現実」のメタファーとなり得るのです。
YouTubeというプラットフォームは、この不安の共有を加速させます。コメント欄では、同じ恐怖を体験した人々が感想を述べ合い、考察を深めます。これは、共通の感情を分かち合うことで、孤立感を和らげ、連帯感を生み出す社会的な機能を持っていると言えるでしょう。
哲学者のセーレン・キルケゴールが「不安は自由のめまいである」と述べたように、人間は自由であるからこそ、その可能性の中で無限の不安を感じます。怖い話は、この実存的な不安を一時的にせよ具象化し、向き合うための仮想空間を提供しているとも解釈できます。
3. デジタル時代の口承文化と「静かな恐怖」の台頭:文化研究の視点
怖い話は、古くから人類の文化の中に存在してきました。神話や民話、怪談、そして都市伝説へと形を変えながら、口から口へと語り継がれてきた口承文化の重要な一部です。YouTubeは、まさにこの口承文化がデジタル時代に最適化された形であると言えます。
文化研究の視点から見ると、YouTubeで流行する怖い話には、現代特有の傾向が見られます。例えば、「雨穴さん」に代表されるような「静かで不気味な、不安な気持ちにさせる物語」や、「不気味な謎のCM」といった現象は、従来の直接的な暴力やゴア表現に頼るホラーとは一線を画しています。これらは、不条理さ、違和感、そしてじわじわと精神を蝕むような間接的な恐怖に焦点を当てています。
これは、現代人が飽和した情報の中で、より繊細で知的な刺激を求めていることの表れかもしれません。また、SNSの普及により、誰もが発信者となり得る時代において、曖昧さや多義性を持つコンテンツは、視聴者自身の解釈や考察の余地を与え、より深い没入感と参加を促します。文化記号学の観点から見れば、これらの「静かな恐怖」は、現代社会の複雑さや不確実性、あるいは匿名性の高まりといった新たな文化的コードを反映していると言えるでしょう。
まとめ:現代社会を映し出す鏡としての「怖い話」
YouTubeで怖い話が流行する現象は、単なる一過性のエンターテイメントブームに留まりません。そこには、ストレス社会における人間の心理的な解放欲求、先行き不安が蔓延する現代社会の構造、そしてデジタルテクノロジーが切り拓く新たな文化表現の可能性が複雑に絡み合っています。
人文科学の視点からこの現象を分析することは、私たちが何を恐れ、何を求め、どのように不安と向き合っているのかを理解する上で、重要な示唆を与えてくれます。YouTubeの怖い話は、現代社会の深層にある声なき声を聞き取るための、貴重な手がかりとなっているのです。
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