2ndプロフィール
プロフィールといえばもっぱら仕事に関するもの。
しかし、それでは味気ないですし、そもそもこのサイトを運営する人間がいったいどのような人物なのか、信用に足るのか、など推し量りようがありません。
そこで、酒井威津善という人間のアウトラインを知って頂くために、
・この名前の由来
・好きな本
・好きな映画
・愛用する文具
・1日の締めくくりに行うこと
・性格
を思いつくまま書き記しました。
この名前の由来
酒井威津善(さかい・いつよし)
「本名ですか?」
と聞かれることは度々です。
本名です。いわゆる“ビジネスネーム”ではありません。
とはいえ、随分と珍しい(たぶん日本に1人だと思います)名前です。
そもそも「酒井」という名字を持つ人も24万人ほどしかいない上、この名前ですから、たぶん1人だと思います。(よく、“つよし”さんですか?と聞き返されますが)
この名前を付けたのは両親ではありません。
有り難いことですが、さる日蓮宗のご上人様に付けて頂きました。
3人兄弟の末っ子なのですが、なぜか私だけ、お寺に行って付けてもらっています。
で、肝心な名前の由来なのですが、すみません、忘れてしまいました。
ただ、字面に強いインパクトがあるおかげで、本を出すときには、この名前で良かったなぁと、感謝しています。
知り合いからは、「酒井さんのイメージに合っていますよ」と言われるのですが、改めてこの2ndプロフィールの項目と照らし合わせると、自分のこととはいえ、「確かにな」と思います。
名は体を現す。
文字通りなのかもしれません。
好きな本
主に哲学書です。
学校は理系でしたし、社会人になって最初の10年間はシステムの世界ですから、人生の流れに対しては完全に「象限の異なる」カテゴリーです。
読み始めてまだ5、6年ほどですが、とにかく面白いのです。
※余談ですが、世界的なビジネスを立ち上げたアマゾンなどの創業者の出身はもっぱら「人文系」が多く、愛読書も「歴史」や「哲学」が多いそうです。
人類の歴史とともに歩んできた哲学は、最古の学問と呼ばれながら、今尚進展しつづける「学問of学問」とも言える存在です。
プラトンやソクラテスなど誰もが知る哲学者のほか、その歴史の長さと同様に、たくさんの哲学者がいます。
中でも、個人的に特に好きなのが、デカルト。そして、フッサールの2人です。
デカルトは、著書「方法序説」が有名ですね。
この本は幾度となく読み返しています。
もう1人のフッサールは、「現象学」で有名。
目の前で起こるさまざまな現象を人はどのように認識しているのか。
そして、そうした現象にまつわる物事の本質とは何なのかを分析しています。
方法序説、現象学ともにビジネスを考える際にとても役立ちます。
方法序説からは、「分解する」こと。
現象学からは、起きている現象を( )カッコに入れ、「切り出す」こと。
ビジネスで起きるさまざまな問題を分解し、切り出してみる。
この考え方は、とても有益だと思っています。
問題が発生するとどうしても人は、その印象や自身が感じる「感覚」に気持ちが奪われがちです。結果、感情優先で物事をとらえ、的確な問題解決策にたどりつけないことがままあります。
こうした、ある意味人間ならでの「不都合な選択」から一旦距離を取り、客観的な視点で問題を捉え直す上で、上記の2つが欠かせない。
そう考えています。
好きな映画
いわゆる映画マニアではありませんが、不定期にアマゾンプライムなどで見ています。
人生も折り返しに差し掛かる中、改めて振り返ってみると、「好きな映画は?」と問われれば、やはりこれしかありません。
「ショーシャンクの空に」
2004年の公開時、偶然にも当時まだあった紙の「ぴあ」で、この映画を知りました。ご覧になったことがある方ならよく覚えているシーンの1つ。屋上での清掃後、主人公アンディの機転でそこにいた全員にビールが振る舞われた、あのシーンの画像が載っていたのです。
皆がビールを酌み交わし談笑する場所から少しだけ離れて腰をおろし、穏やかな笑顔をかざすアンディ。刑務所の屋上にいるとは思えない、まるでカフェで寛いでいるかのような佇まい。
一瞬にして引き込まれ、気がつくと映画館にいたのを今も忘れません。
これまでに少なくともDVDなどで50回以上は見たと思います。
テレビでやっていれば今なお確実に見ます。
次のシーンも、セリフもほとんど覚えています。
それでも見てしまうのは、見る度に新しい発見があるから。
「ああ、このシーンはそういう意味だったのか」とその度に気付かされ、この映画の深さに驚嘆させられるのです。
・・・・・「ショーシャンクの空に」について語りだすとキリがないと自覚していますのでこのへんに。
愛用する文具
日頃、メモを取ったり、こうした文章の下書きをするときに愛用しているのが、万年筆です。
その機能性では当然パソコンに太刀打ちできません。
しかし、一度慣れてしまうともはや普通のボールペンや他の筆記具に戻れない強い魅力があります。
特筆すべきは、書く負担の軽さ。
万年筆は、低筆圧筆記具と呼ばれています。
筆圧とは、文字通りペンに力を入れること。
つまり、万年筆はそれほど力をかけなくても、文字が書ける筆記具なのです。
実際に試してもらうと一目瞭然です。
ボールペンで文字を書き続けると、そのうち手が疲れてきますが、万年筆にはそれがありません。
中でも、万年筆の王とも呼ばれる「モンブラン マイスターシュテュック 149」の書き心地は抜群。職人の手で削り出されたハンドメイドのペン先は18金。そこから繰り出される適度な柔らかさは、ほとんど力をかけずとも、しなやかな文字を綴り出してくれます。
書くことへの負担を減らしてくれるだけではありません。
モンブランのようなある程度高級な万年筆になると、ペン先などを換えることでほぼ永久的に使うことができ、とてもコスパに優れている筆記具でもあるのです。
現在、モンブラン、セーラー、プラチナ、パイロットの4本を持ち、順番に使い続けています。使い始めて5年以上経ちますが、どれもなんともありません。
1日の締めくくりに行うこと
1日の終わり、寝る前の約2時間、PS4のゲームに浸っています。
ゲームについては、賛否両論あるかもしれません。
いい年齢なのにゲームかと思われるかもしれません。
また、何事にも共通するとおり、やりすぎは良くないでしょう。
とはいえ、ならではの効用があると思っています。
それは、「思考の停止」。
PS4が登場して、本当に凄い(としか表現できない)タイトルが増えました。社会的な問題を取り上げたものや、テレビドラマを凌ぐようなストーリーが展開されるものなど、もはや本来のゲームの定義を大きく超えています。
こうした優れたゲームコンテンツは、現実と見紛うような麗美な映像とともに、途方も無い「没入感」を提供してくれます。
結果、ゲームコントローラーを握りしめている2時間は脳の思考停止をさせ、いい意味で脳のリセット、リブートができるのは言うまでもありません。
禅僧のように、自力で雑念を切り離すことができればいいのですが、凡人中の凡人である自分の場合、気がつくと「何かを考え続けて」しまいます。なかなか脳を休ませることができない。そうこうしているうちに脳はヘトヘトになり、望んでいるような思考結果から遠ざかる一方。
こうした離脱したい内的現象から、自動的に引き剥がしてくれるのがほかでもないゲームなのです。
没入する時間中は、文字通り「時間の流れ」がありません。
そこかしこに散らばっている諸問題は、そもそもなかったかのごとく、意識の中に登場しないのです。
文字通り、「頭の中がカラッポ」状態。クールダウンです。
このプロセスを経てから、風呂に入り、眠りにつくと、翌朝起きた瞬間から脳を動かすことへの負担がありません。
性格
少々疑わしいかもしれませんが、以前「前世」を見てもらったことがあります。
どうやら、自分は「職人」だったとのこと。
(曽祖父は、江戸時代、鳥取池田藩に仕える武士だったのですが・・・・)
家内と一緒に見てもらったのですが、家内とはなんと「前世で親友」だったそうです。
仕事で家に閉じこもりがちな自分を、(前世の)家内が「家にいてばかりだと体がなまるぞ!」といっていつも外に連れ出していたと。
これには驚きました。
今のライフスタイルについては一切明かしませんでしたが、この流れ、全く今と同じなのです。
職人だったのか。
どおりで、テレビなどで職人さんの特集を見始めると、目が離せなくなるわけだ。日本刀や和ろうそく、和紙、漆器づくりなどの工程を見ていると心が落ち着くのです。
仕事ではとことんこだわりますし、あらゆるものに「品質」を求める自分がいます。さきほど述べた万年筆や哲学など、自分の写し鏡のような象徴といえるかもしれません。
自分で作ったものは平気で壊します。
それは、「自分の考え方」にまで及びます。
家内にはいつも驚かれますが、「よりよいもの」になるのなら、自分が作り出したものなどどうでもいい、そう思えるのです。
これで完成だと思うこともありません。
人のやること、考えることは常に「微妙」なもの。
神ではないのですから、欠陥があって当然なのです。
(宗教家ではありません。哲学的な観点です)
ただ、正直疲れるときもあります。
ほどほどで止めておいたほうがいいのになぁと。
そんなときに欠かせないのがPS4の存在。
強引に「止めさせる」ためになくてはならないパートナーです。