知の巨人が織りなす「生きた思索」の記録:小林秀雄・岡潔『人間の建設』を読み解く

知の巨人が織りなす「生きた思索」の記録:小林秀雄・岡潔『人間の建設』を読み解く

私たちは日々の生活の中で、様々な情報に触れ、知識を吸収しようと努めます。しかし、本当に「深く考える」とはどういうことなのか、真に「理解する」とはいかなる状態を指すのか、その問いへの答えは決して容易ではありません。今回ご紹介する一冊は、そんな私たちの知的探求に、深く、そして力強く響き渡るでしょう。

小林秀雄。近代日本を代表する文芸評論家であり、その比類なき批評眼で多くの文学作品、芸術、そして思想を読み解いてきました。 そして、岡潔。世界的な数学者であり、多変数複素解析の分野で多大な業績を残し、「日本の知性」とまで称された孤高の存在です。

この二人の「知の巨人」が、何のテーマも定めず、ただひたすらに語り合った対談の記録こそが、今回ご紹介する『人間の建設』(新潮文庫)です。1965年に刊行されて以来、半世紀以上もの時を超えて読み継がれる本書は、一体私たちに何を語りかけてくるのでしょうか。

「雑談」の皮を被った「本物の思索」

本書を初めて手にした時、多くの人が抱くであろう印象は「雑談」かもしれません。酒の話から始まり、学問、芸術、歴史、現代社会、そして数学の深遠なテーマまで、二人の会話はまるで奔流のように流れ、時にユーモラスに、時に厳しく、縦横無尽に展開されます。

しかし、その「雑談」の中にこそ、本書の真髄が隠されています。そこにあるのは、お互いの知性に対する最大限の敬意と、決して既成概念に囚われることのない、生きた思索の軌跡です。

小林秀雄は、対談の冒頭で岡潔の印象について次のように語ります。

「あの人は何かを追いつめる人ですね。ぼくが何かを追いつめてゆく姿を見ていると、ああ、あれと同じだ、という気がします。」(『人間の建設』新潮文庫版、P.10)

この一文に、二人の間に通じる「本質」が凝縮されているように感じられます。彼らは表面的な知識の交換ではなく、それぞれが長年培ってきた思考のプロセス、物事を深く洞察し、本質を掴もうとする精神のあり方において共鳴し合っているのです。

数学、文学、そして「言葉にならないもの」への探求

本書で特に印象的なのは、岡潔が語る数学の世界観、そしてそれに対する小林秀雄の深く鋭い問いかけです。多くの人にとって難解に思える数学が、岡の言葉によって、まるで生命を宿したかのように、あるいは芸術作品のように語られる場面は圧巻です。

例えば、岡は「情緒」と数学の関係について、次のように語ります。

「わたくしは数学も情緒でやるんです。数学の世界で、わたくしが情緒を感じる時には、これはもう間違いない、と確信するんです。」(同、P.58)

我々が一般的に考える「論理的」な数学とはかけ離れた「情緒」という言葉に、最初は戸惑うかもしれません。しかし、岡は数学の真理を追究する上で、論理だけでなく、直感や感性といった、言葉では表現しにくい「何か」が不可欠であることを示唆しています。

これに対し、小林は岡の言葉を深く受け止め、さらに問いを深めます。

「それは、言葉にならないものがそこにあるからでしょう? 言葉にならないものが、言葉になった瞬間に、ある種の力が生まれるという感覚ですね。」(同、P.59)

このやり取りは、本書全体のテーマを象徴しているとも言えます。つまり、言葉や論理では捉えきれない、人間の根源的な感覚や直感、そしてそれらがどのようにして知識や理解へと昇華されていくのか、という問いへの探求です。

また、岡はアインシュタインの相対性理論について、次のように語っています。

「アインシュタインの相対性理論は、その理論の基盤が、数学でできてなくて、物理でできているんですよ。それだから、わたくしはあまり面白いとは思わない。」(同、P.112)

この発言は、多くの読者にとって衝撃的かもしれません。しかし、岡は物理学的な現象の記述にとどまらず、その根底にある数学的真理、より普遍的な原理を追求することこそが、真の学問であると考えていたことが伺えます。

「人間とは何か」という問いへ

本書のタイトルである『人間の建設』。これは単なる対談集に与えられたタイトルとしては、あまりにも雄弁です。では、彼らは何を「建設」しようとしたのでしょうか。

小林秀雄は、人間が文化を築き上げてきた歴史について深く洞察しています。

「人間は、自分がつくったものが、また自分を規制していくというね、そういう不思議な循環の中に生きているんですよね。」(同、P.145)

これは、私たちが創造した文化や制度が、やがて私たち自身の生き方や思考に影響を与え、形作っていくという、人間の根源的なあり方を示しています。

そして、岡潔は、日本の教育のあり方について、示唆に富む発言をしています。

「今の日本の教育は、子供に考えることを教えない。ただ知識を詰め込むだけだ。これは人間をダメにする。」(同、P.201)

この言葉は、半世紀以上前の発言であるにもかかわらず、現代社会においてもなお、私たちの教育システムが抱える課題を鋭く指摘しているように感じられます。真の「人間の建設」とは、単に知識を増やすことではなく、自ら考え、感じ、そして創造する力を育むことであると、二人は静かに語りかけているのです。

読むたびに深まる、知的な喜び

『人間の建設』は、一度読んだだけで全てを理解できるような、平易な書物ではありません。むしろ、読むたびに新たな発見があり、自身の思考が深まるのを実感できる、稀有な一冊です。

二人の対話は、私たちの知的好奇心を刺激し、「もっと知りたい」「もっと深く考えたい」という内なる欲求を呼び起こします。彼らの言葉の端々からは、学問に対する真摯な姿勢、そして人間という存在への尽きせぬ探求心が伝わってきます。

現代社会は情報過多の時代と言われます。SNSやインターネットを通じて、私たちは常に膨大な情報に触れることができます。しかし、本当に大切なのは、その情報をいかに深く、多角的に捉え、自分自身の血肉としていくかではないでしょうか。

本書は、そのためのヒントを私たちに与えてくれます。二人の知的な格闘を通して、私たちは「本物の思考」に触れ、私たち自身の「人間の建設」を促されることでしょう。

ぜひ一度、この稀代の対談に触れてみてください。きっとあなたの知的な世界を、より豊かに、より深遠なものに変えてくれるはずです。