なぜ働いていると「発想」ができなくなるのか

なぜ働いていると「発想」ができなくなるのか

なぜ働いていると本が読めなくなるのか(三宅 香帆著 集英社新書)を読んだ。https://x.gd/tVR4m

バブル崩壊後、自分のキャリアは自分で考えるようになり、仕事=実存(仕事こそが人生そのもの)と価値観が変わり、仕事で結果を出すことがすべてになった。
しかし、仕事にはアンコントローラブルな部分がある。そこで、操作不可能な部分を排除する傾向が強まり、入ってくる情報をコントロールできるネット情報への傾注が進んだ。その反対に、欲しい情報以外のもの(ノイズ)が含まれ、コントロールできない「本」を避けるようになった・・・というのが概要である。

「発想」も似ていると強く感じた。

本と同様に、仕事をしているとアイデアが浮かびにくくなる。というよりも、いざ、アイデアを考えようと思っても出てこない。その原因が似ている。特定の仕事をするということは、その仕事に関連しない情報(ノイズ)は当然遮断するからだ。一方、アイデアを発想するということは、「本来なら仕事に関連しない情報=仕事にとってのノイズ」を大いに必要とする。しかも、自分の手でアイデアに必要な素材を集めなければならない分、読書よりも心理的負担が大きい。

アイデアにはさらにやっかいなことがある。本のような、例えば歴史、文学、哲学、数学といったような明確なジャンル分けがなく、範囲も不明瞭である点だ。つまり、何をどこまで考えればいいのかわからない。アンコントローラブルな部分が、読書よりもはるかに広大なのだ。

この本では、仕事への重み付けを減らすことが解決策として提示されている。発想にもそのような解決を望むことができるだろうか。

残念ながら、発想する時間を多く取ったからといって、必ずしもいいアイデアが浮かぶとは限らない。しかも、せっかく考えたアイデアが不発の場合も多々ある。

本にはまだ救いがある。ノイズと呼ばれるものは、本来不要なものではなく、むしろ読者にとって必要なものだからだ。環境の変化の中、無意識に避けてしまっていただけだ。意識を変え、時間を作り、読書をすれば相応のメリットを享受できるからだ。

では、どうすればいいのか。
アイデアを出すために時間を使うのではなく、アイデアを出すための「材料集め」に時間を費やすことが望ましい。

そもそも、素材がなければいいアイデアを生み出すことはできない。
何もないところで、しかも自分の頭だけでうんうんと唸っても、これだ!というアイデアはまず出てこない。確実に徒労に終わる。

ならば、アイデアをいきなり出そうとするのではなく、アイデアを出すための素材集めに注力する。この作業の結果が裏切ることはない。

無論、集めた素材を使うかどうかはまったく未知だ。
しかし、ある程度集めておかないとそもそものスタートラインにも立つことができない。