芥川龍之介『羅生門』はなぜ「人の原点」を映し出すのか?―エゴイズムと倫理の狭間で揺れる人間心理

芥川龍之介『羅生門』はなぜ「人の原点」を映し出すのか?―エゴイズムと倫理の狭間で揺れる人間心理

芥川龍之介の短編小説『羅生門』は、平安京の荒廃した門を舞台に、極限状態に置かれた人間のエゴイズムと、揺れ動く倫理観を鮮烈に描き出した傑作です。わずか数ページの物語の中に、人間の根源的な心理が凝縮されており、まさに「人の原点」を知る上で最高の1冊と言えるでしょう。本稿では、本文を引用しながら、『羅生門』がどのように人間の深層心理を抉り出し、読者に普遍的な問いを投げかけているのかを考察します。

物語は、下人の「どうにもならない事には、どうにもならない」という諦念から始まります。職を失い、雨宿りのために羅生門に身を寄せた下人は、明日をも知れない飢餓状態に追い込まれています。この状況は、人間の生存本能が剥き出しになる極限状態を示唆しており、続く展開への不穏な予感を漂わせます。

「どうにもならない事には、どうにもならない。」

この一文は、下人の絶望的な心理を表すと同時に、読者自身の置かれた状況や、人生における無力感を想起させます。人は追い詰められた時、どのような行動に出るのか。『羅生門』は、その問いに対する一つの残酷な答えを提示していくのです。

物語が大きく展開するのは、下人が門の上で老婆と出会う場面です。老婆は死人の髪の毛を抜いて鬘を作っているという異様な光景を目撃し、下人は強い嫌悪感を抱きます。しかし、老婆の「こうしなければ、餓死をするより仕方がないのだから、仕方がない」という言葉を聞いた時、下人の心境に変化が生じます。

「なるほど、死人の髪を抜くという事は、いくらなんでも道徳にそむく事ではあるだろう。しかし、こうしなければ、餓死をするより仕方がないのだから、仕方がない。――すると、下人の饑餓も、結局この老婆の饑餓と同一の根から出ているのではないか?すると、今まで自分が『悪』だと憎んでいた老婆の行いも、自分にとっては、決して憎むべき『悪』ではなかったのではないか?」

この下人の内面の葛藤こそ、『羅生門』が人間の根源的な心理を描き出す上で最も重要な部分です。彼は、自身の置かれた飢餓という極限状態と、老婆の行為の背後にある「生きるための必然性」を結びつけます。これまで「悪」だと断じていた行為が、自身の状況を重ね合わせることで相対化され、倫理的な判断が揺らいでいくのです。

この瞬間、下人の中で何かが崩壊し、新たな感情が芽生えます。それは、老婆に対する同情や理解ではなく、自身の生存欲を満たすための合理化です。彼は老婆の言葉を都合よく解釈し、老婆が死人の着物を剥ぎ取った行為を正当化することで、自身の盗みを肯定しようとします。

下人は、荒々しい声でこう言った。「では、おれも盗むより外に仕方がない。こうしなければ、餓死をするより仕方がないのだ。」

この言葉は、下人が倫理的な葛藤に終止符を打ち、エゴイズムへと突き進む決意表明と言えるでしょう。「仕方がない」という言葉は、老婆の言葉を模倣しながらも、その本質は大きく異なっています。老婆の「仕方がない」は生きるための最後の手段でしたが、下人の「仕方がない」は、他者の犠牲を伴う自己中心的な選択なのです。

そして、下人は老婆から着物を剥ぎ取り、闇の中へと消えていきます。このラストシーンは、人間の持つ根源的なエゴイズムの強さと、倫理観の脆さを象徴的に示しています。極限状態においては、他者の苦しみや犠牲を顧みず、自身の生存を最優先する人間の本能が露わになるのです。

『羅生門』が私たちに突きつける問いは、決して他人事ではありません。私たちは日常生活においても、大小様々な選択を迫られ、その都度、自身の利益と倫理観の間で揺れ動いています。例えば、競争社会における他者との駆け引き、自己保身のための嘘、集団心理による同調圧力など、形を変えながらも『羅生門』の下人と同様の心理が働く場面は少なくありません。

芥川龍之介は、『羅生門』を通して、人間の理性や道徳がいかに脆弱な基盤の上に成り立っているかを容赦なく描き出しました。極限状態という特殊な状況設定は、普段は隠されている人間の本性を浮き彫りにするための装置であり、そこで示された人間の心理は、時代や状況を超えて普遍的な真実を孕んでいます。

だからこそ、『羅生門』は単なる文学作品としてだけでなく、人間の心理を探求するための貴重な教材としても読み解くことができるのです。下人の心の動きを追いながら、私たち自身の内面に潜むエゴイズムや、倫理観の曖昧さに目を向けること。それこそが、『羅生門』が現代の私たちに与える最も重要な示唆と言えるでしょう。

この短い物語は、人間の複雑で矛盾した本質を鮮やかに描き出し、読者の心に深く突き刺さります。読み終えた後、私たちは自問せざるを得ないでしょう。「もし自分が下人と同じ状況に置かれたら、どのような選択をするだろうか?」と。その問いこそが、『羅生門』が時代を超えて読み継がれる理由であり、私たちが「人の原点」を知る上で、今なお最高の1冊である所以なのです。