プロフィール

「新しいビジネスモデルの発想とヒント」運営管理
「儲けのしくみ」「小さなビジネスモデル100」著者
フィナンシャル・ノート代表 酒井 威津善(さかい いつよし)
■プロフィール詳細
30年以上に及ぶ、ウェルギリウス不在の「美しい地獄」
ep1.不条理に囲まれながら ~「地方」✕「上場準備」
「あの会社行ったらあかんで」
会社に戻り、先輩への報告で返ってきた言葉はあまりにも想定外だった。
とにかく、大阪中の会社回ってこい!
今ならかなり問題になりそうな理不尽な業務命令に、1つの顧客も持たない自分はただ従うしかなかった。来る日も来る日も大阪中の名のある会社を回った。
有り難いことだが、会社に知名度があったおかげでアポイントだけはすんなり取れた。
しかし、問題はそのさきだった。
受付を済ませるとかならずといっていいシステム部の責任者がほど出てきてくれた。そして、こう言われた。
「おまえんとこ、今なにしてんの?こいつら、なんでこうへんの?」
と言われながら、古い名刺を何枚も並べられた。
多くが昔顧客だった企業で、しかも「やらかして」いた先だったのだ。
やらかしたまま、音信不通。諸先輩方はひどすぎる対応をそのままにしていたのだ。
何も事情を知らない新人の自分がのこのこと出かけていき、怒られる。
顧客が怒ってくるのも当然だった。
もちろん、中には「何も知らんあんたにいうても仕方がないけどな。でもな、会社に戻ったら伝えてといて。ちゃんとしてって」と穏やかに話してくれる人もいた。
だが、結局「やらかして」いることに変わりはなかった。
何度もそんな目に会いながら、ある日会社に戻って報告したとき返ってきたのが冒頭の言葉だった。
「どこ・・行ったらいいんですか?」
怒りを噛み殺しながら、絞り出すように尋ねると、
「うーん、大阪の会社でウチのこと知らんとこないしなぁ。残ってるとこ、もうないんちゃうか」
なんやそれ!
ないのに回ってこい!ってどういうことやねん!
会社も知れ渡っているから、あるときなどは電話で、
「会社の説明にあがりたいんですが・・・」
「はぁ、おまえんとこなんか、おまえよりよう知ってるわ!」
と言われる始末だった。
大阪の会社回ってこい!でも、大阪にある会社を回っても無駄。全部行ってる。
下手すれば、「やらかして」いる先だったりする。完全に出口なし。どうせーちゅうねん。
大阪で行くとこないやんけ・・・
と苛立ち混じりの言葉が頭の中をよぎった直後だった。
「大阪でいくとこない?・・・大阪以外やったらあるちゅうことちゃんうんか」
頭の中がスローモーションになった。
「ま・さ・か、地方に行けばええんちゃうか」
「地方やったら大手のベンダーもわざわざこうへんやろうし」
1つの仮説ができた瞬間だった。
「地方」✕「大手Sier」
という掛け算だ。
仮説は当たっていた。
オンラインが一般化した現在ではもう通用しないコンセプトかもしれないが、対面が当然だった当時(今から30年前)は、地方にわざわざ出向く大手のシステムベンダーは皆無だったのだ。
このコンセプトを引っ提げ、最初に赴いたのが当時まだ山口に本社があった「ユニクロ」だった。大阪から5時間。新幹線とタクシーを乗り継ぎ提案に行った。
後にローソンのトップになる玉塚氏が出てきたのは今も昨日のことのように覚えている。
大阪から来たと伝えると、予想通り驚かれた。当時、最寄りの駅からタクシーで30分もかかるところに本社があったことで、システム会社はほとんど来ないという。仮説どおりだった。
ユニクロを皮切りに、岡山、京都、名古屋(の外れ)、川越など地場に大手ベンダーがいないところをとにかく回った。
仮説はもう1つあった。
1つめの仮説が動き出した直後の知人の話がヒントになった。
「地方って、結構上場前の企業多いよな。地方で結果出してから、上場を果たして、そして東京へ進出する流れみたい」
なるほど。
「地方」✕「上場準備」
という掛け算だ。
へー、そんなもんかと聞いたときは思ったが、実際は全くそのとおりだった。
ユニクロ以降訪問した地方企業は7社あったが、訪問から1年以内にすべて上場を果たした。
上場を準備している。
だから、それに合わせたシステム改変が不可欠だったのだ。
しかも、それ用に資金を準備しているおまけ付きだった。
言うまでもないが、大阪にそんな企業は存在しない。
結果を出しているから大阪に拠点を構えているのだ。
「地方」✕「大手Sier」
「地方」✕「上場準備」
この2つの仮説で生み出すことができた売上は、3年で20億以上になった。
・・・
仮説の実行はそう容易くはなかった。
山口に行きたい、直属の上司に伝えると予想通り、
「はぁ、山口?交通費なんぼかかんねん。そんなアホなこといってんと大阪市内回ってこいや!」
今なら100%、パワハラである。
“大阪回っても案件ないやんけ!だから地方行くいうとんねん!”
と心の中で叫んだが、もちろん口にはしていない。
さらにもう1人上がいたが、同じ答えが見えていた。
あかん、こうなったら部門トップに直談判しかない。そう覚悟した。
当時自分の部署には200人ほどいた。そのトップだ。
挨拶くらいしかしたことがなかった。雑談もロクにしたことがない。
あまりにも遠い存在だった。
だが、もう直訴しかない。
さながら、足尾銅山鉱毒事件の田中正造の気分だった。
今も部門長席までのたどり着くまでの間の記憶がない。
気がつくと、部門長席に直角の向きに据え付けてある相談用の椅子の前に立っていた。
何をどう話したのかも覚えていない。
だだ広いフロアのちょうど真ん中、唯一窓を背にして設置している部門長席の前に棒立ちになりながら、必死に伝えたのだろう。
いい終わったあと、我に返って、
「もしかすると、子会社に飛ばされるかもしれない」
「直属の上司と同じように、何の結果も出してないくせになにが山口だと言われるかもしれない」
そんなネガティブな言葉がなんどもなんども頭を繰り返しよぎったことだけはよく覚えている。だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「案件はあるんか?」
あるかどうかわからないとは言えない。あくまで仮説だからだ。
でも、ここでありませんと言ったらすべてご破産だ。
「あると思います」
なんとも歯切れが悪い言い方を絞り出した。
「そうか、あるんか。わかった。
おまえがあると思うんやったらあるんやろ。
理由はそれで十分や。行って来い。
山口でもどこでも好きなとこへ行ってこい!」
どのくらいの時間だったのかわからない。
しばらくの間呆然としてのち、ハッとして、
「えっ、でも新幹線代とかすごくかかるんですが・・・」
と答えた。思えば変な言葉だ。
直訴しておいて、いいと言われたのに、ダメな理由を自ら口にしているのだ。
部門長は少し笑いながら、
「おまえの仕事は何や?新しいお客さん探してくることやろ?せやろ?」
「はい、そうです」
そう答えると、部門長はすっと立ち上がってフロアを指さしながら、
「酒井、見てみろ。みんな必死に仕事しとるやろ。
今、みんながやっている仕事は、今から3年前、5年前、今のおまえのようにだれかが必死の思いで取ってきたもんや。だから、今、仕事があるんや。
ええか、おまえの仕事はそういうことや。
おまえの仕事は、この会社の3年後、5年後を創ることや。
新幹線代みたいなしょうもないこと気にするな。
今後はオレの許可もいらん。
おまえの気が済むまでどこでも好きなだけ行ってこい!」
どうやって自席に戻ったのかも覚えていない。
気がつくと新幹線の回数券を手に握っていた。
そして、隣席にいた直属の上司が怖い顔で睨んでいるのが視界の端に見えたが、どうでもええわ。そう思えた。
あとで知ったことだったが、当時部門で動かしていた大規模案件のほぼすべてをその部門長が1人で取ってきたものだった。
「同じとこにじっとしてたら会社は死ぬんや。
失敗してもええから動け。そうしてたらなんか見つかるはずや」
30年経った今も、部門長のこの言葉が私の原動力として染み込んでいる。
ep2.東京本社への異動 ~椎名桔平、渡辺いっけい、柄本明がいるような雰囲気の中で~
この部署から2人、東京へ行く。
それは半年も前から噂レベルで耳にしていた。
まさか自分の異動情報を聞く羽目になるとは思いもよらなかったが。
どうやらその1人として自分に白羽の矢が立ったらしい。
有り難いことに予算は毎年達成していた。(無論、部門長のおかげだ)
が、にもかかわらず異動?
どうしてだ!?と怒りも込み上げてきたが、理由はあまりにも明白だった。
部門長の異動だった。
部下(自分の直属の上司だった)のやらかしの責任を取って、子会社に異動になったのだ。
部門長の影響力は凄まじく、次期副事業部長に内定していた。
最終的には社長になるだろうとも言われていた。
が、これを面白くないと思った連中も少なからずいたのだ。
詳細は書けないが、フロアに漂う雰囲気は、さながら椎名桔平、渡辺いっけい、柄本明が出てくるドラマのようだった。
要は後ろ盾を無くしたのだ。
「虎の威を借る狐」の虎がいなくなったのだ。
“虎”がいなくなったあとの“狐”の転落は凄まじかった。
持っていた案件はすべて剥がされ、放り出されるように身体1つで東京行きになった。
(持っていた案件の1つが社長賞に選ばれたが、その対象からも外される始末だった)
ep3.ふたたびの0 そして、「名刺」✕「リサイクル」
結局、また0からスタートを切ることになった。
しかも今度は「後ろ盾」なしの状態だ。
洗礼は着任してすぐに浴びた。該当する部門に挨拶に行くと、
「えっ、異動?うちに?聞いてないけど」
と配属先の部門長に驚かれる始末だ。
少しキレ気味に「えー、出てますよ。異動情報。お願いしますよ~」と言うのが精一杯だった。
何のツテもない。案件もない。
一体どこから手をつければいいのか。まったくもって霧の中からのスタートだった。
とにかく何か取っ掛かりが必要だと思い、大阪にいた同期に夢中で連絡を取った。
だれか知り会いを紹介してほしいと。
しかし、紹介されたのは1人だけだった。
もっと教えてほしいと頼んだが、「そいつで十分だ」と電話を切られた。
パッケージベンダーの営業マンだった。
年齢が近かったこともあって、すぐに打ち解けることができた。
何度か会って話をするうちに、なかなか案件が取れなくて困っているという悩みを知った。
(まぁ営業であれば誰しもだとは思うが)
ある日、喫茶店で話ながら、なんとなく聞いた。
「どんなとこ、回ってんの?」
質問をしながら、「あれ?!」と何かがひっかかった。
そんな自分の頭の中とは別に、彼は名刺を出しながら、
「こんな感じですよ。いやーどこも話は聞いてくれるんですけどね。その先が。うちの製品だけだと、限界があるから」
この直後だった。完全に無意識状態だった。
「その名刺くれない?いらないんでしょ?」
と自分でも何を言っているのかわからないことを口にしていた。
「えっ? この名刺ですか。いやー全部使えないですよ。案件なさそうだし」
「いやいや、うちなら“案件化”できるかもしれないから」
そういいながらハッとした。
そうか・・・・「名刺のリサイクル」だ。
「名刺」✕「リサイクル」
通常、行かなくなった先の名刺は、名刺入れかクリアホルダーの中に眠ったままになる。
再び取り出す機会はほとんどない。それをリサイクルしようというのだ。
彼が扱っていたパッケージソフトの需要はなかったかもしれない。
しかし、別のシステムなら未知数だ。
詳細はこうだ。
自分が代わりに営業を行い、もし、彼の分野に該当する需要が掘り起こすことができたらそれはそのまま引き渡す。つまり、パッケージ営業として築いた営業先を用いて別のシステムを提案する。今でいうなら、新聞の配達網を使ってデリバリーを行うようなイメージだ。
彼が直近3年間で集めた名刺は、まさに宝の山だった。
0から0.5に。
息を吹き返した瞬間だった。
ep4.富士通牙城の準大手損保 ~「保険」✕「システム」
名刺の中には、自力では到底たどり着けないような先が山のようにあった。
その1つが某準大手の損害保険会社だった。
大手企業は必ずどこかの牙城になっていることが常だ。
その保険会社は富士通だった。一分の隙もない。
しかし、普通では行けない先。
とにかくまずは訪問してみよう。そう思い、意を決して赴いた。
システム部の課⾧が会ってくれた。
小一時間だろうか、いろいろと話を伺っていると、自社でも営業に苦戦しているということ聞くことができた。
この代わりに営業に来ているスタイルのことを「面白い」という。
そういう発想が自社の営業にもあればいいのだがと。ただ、残念だが発注できそうな案件はない。すべて既存のシステム会社に頼んでいると。
やはりなと諦めかけた。と、そのとき課⾧の話が一瞬リフレインした。
「営業に苦戦している」
営業が楽になる、もしくは営業の後押しになるような何かを提案できるのであれば、突破口になるのでは・・・?
とは思いつつも何も思い浮かんでこない。
損害保険の知識を一切持ち合わせていない自分には当然のことだった。
ただ、何かあるはずだ。自分だけがわかっていないだけだ。
そう思い直し、改めてまたお時間いただくことはできますかと尋ねるとOKがもらえた。
とはいえ、このテーマは自分には到底扱えない。
何の仮説も浮かんできそうにない。
自社へ戻る道すがら、だれかいないだろうかと頭を巡らせた。
いた。1人いた。
元厚生労働省の人間の顔が頭をよぎった。
キャリア官僚だった経歴を捨ててシステム業界にやって来た異色の人物だった。
たまたま売り込みに来ていたのを案件のない自分が応対して、そこから懇意になった。
早速、相談した。
返ってきたのは、
「保険会社の大変さは、差別化だろう。扱っている保険商品自体は各社そんなに差はない。仮に画期的な商品を作ってもすぐに真似されるしね」
これだ。
確信はなかったが、何かいけそうな気がした。真っ先によぎったのは、
「保険」✕「システム」
だった。
新しい保険商品をつくる。ただし、その保険にはそれ用のシステムが必要。
という筋書きだ。これなら、コンペにもならないだろうし、富士通に邪魔をされることもない。
だがここからが大変だった。果たしてどんな保険を作ればいいのか。
もちろん、検討もつくわけがない。
やはり無理かと諦めかけていたところへ再び元厚労省の彼から連絡が来た。
非常に面白いプログラムがあるという。保険商品に使えるのではないかと。
(ここから先は割愛する。霞が関に呼び出される羽目にまで至ったからだ。)
案をパワポにまとめ、急いで損保会社に赴いた。
システム部の課長に説明すると、しばらく預からせてほしいと言う。
やっぱり素人が考えたものなんて箸にも棒にもかからないのか、と諦めかけた頃、とんでもない連絡が来る。
「社長が会いたいので来てほしい」
社長?部長ではなく?
何度も聞き返した。自分は大手システムベンダーにいるとはいえ、下っ端も下っ端だ。
「いえ、社長がです。直接話しがしたいと言っていますので、ご足労をおかけしますがお願いします」
これは面倒なことになった。
自社の社長とは何度か客先に同行してもらったことがあったが、秘書室を通して、なんだかんだと社内調整をしていると少なくとも2週間以上はかかる。
社内で確認して折り返しますと伝えると、なぜか私だけでいいという。
いや、それはマズイですよね。せめて事業部の責任者を連れていきますからと言うと、やはり「私だけでいい」と念を押された。
ダメだ、マズイにもほどがある。
あとで絶対社内で怒られる。ヘタをすればクビか子会社出向かとまたいつもの弱音が頭をぐるぐるしはじめた。
咄嗟に「もう1人だけ連れて行きたい」と伝えるとOKが出た。
無論、元厚労省の彼だ。自分だけでは受け答えがおぼつかない恐れがあった。
その日はすぐにやってきた。
深々とした紫ベースの絨毯が敷き詰められた役員フロアを進むと、一際大きな部屋に通された。社長室だ。
怒られるのか。でも、怒るために社長が出てくるか?
システム会社のペーペーを叱るなら、課長で十分だろう。
下っ端らしい発想が頭を何度もよぎった。
しかし、先方の社長から出てきたのは思いもよらない言葉だった。
「1億でよければ予算を取る」
以降の話はあまりにセンシティブなのでできない。
ただ、名刺の山を“資産”にして、案件が取り放題になったことだけは確かだ。
東京へ飛ばされて2年が経つ頃には、もう大阪にいたときと同じ状態になりつつあった。
今度は“虎”なしで、だ。
ep5.財務の道へ ~12年間に及んだ金庫番としての試練の始まり
予算を順調に達成し、ゆったりとした時間が流れるようになった頃、営業という仕事に限界を覚え始めていた。このままではたぶん良くないなと。
もちろん、いつもどおりの「なんとなく」だ。
とはいえ、どんな方向に進めばいいのか、皆目検討もつかない。
考えあぐねながら、2005年に訪問した「グループホーム メッセージ」を思い出しはじめていた(100カ所以上展開し、上場後ニチイに売却)。
運営母体は岡山県有数の病院で、グループホームという言葉がまだ日本に広がるかなり前だ。
理事長はこう断言した。
「北欧で広がっているグループホームが今後日本でも広がるでしょう。ただ、市場に限界があるため、私たちは100カ所程度展開したあと売却する予定です。MAXで2007年頃まででしょう」
実際その通りに展開されていった。タイミングもだ。
いまでこそグループホームは当たり前になっているが、その先見の明に感嘆したことを思い出した。
他の上場準備企業でも同様だった。
なぜこのビジネスを始めたのか。
そんな質問に対して返ってきたのは、いずれもあまりに鋭敏な先見性だった。
この感覚、このセンス。
一体どんな仕事に付けば、身に付けられるのだろう。
そもそも、そうした画期的なビジネスを立ち上げてしまう人たちにはどんな共通点があるのだろうか。そんな問いから導き出した仮説が「財務」だった。経理ではない。
成功している経営者は、必ず「数字」に強い。
(本人がそうではない場合は必ず、ホンダの藤沢さんのような人物がすぐそばにいる。ソニーで言えば盛田さんだ)
このベクトルを目指そう。
まさか12年もその世界に足を留めることになるとは露にも思っていなかったが。
ep6.住宅メーカーでの洗礼 ~資金ショートまで120日の戦いと80%完成の提案書
ツテを頼って、まだ社歴が5年ほどしかないセミオーダー型の住宅メーカーに入ることができた。
立場は財務担当だった。
今思い出してもかなり無茶な転職だった。
入社後、1年ほどはゆったりとした時間が流れていた。
前任者がいたおかげで、仕事を引き継ぎながら、金庫番の仕事に慣れていった。
しかし、悪夢は突然やってきた。
資金ショートだ。
ただ、不幸中の幸いがあった。
4ヶ月ほどの時間があったのだ。ショートするまで120日。
5000万円もの私募債償還が待っていた。
どんな手を使っても切り抜ける必要がある。
見通しでは、その時点でキャッシュが1000万ほどしか手元にない予測だった。
かき集めたとしても2000万たらず。
話にならない。一体どうすればいいのか。
すでに前任者は辞めていて、自分が矢面だった。
とりあえず償還先であるみずほ銀行に赴いた。
頭をうなだれながら、どうすればいいですか?と聞くと、返ってきた返事はあまりにも冷たかった。
「とにかくなんとかしてください」
反射的にイラっときた。
できるならそうしている。
できないから相談に来ているんだろうが!
声を荒げたくなったが、もちろん噛み殺した。
(今思えば、非常に身勝手な話だ。借りておいて返せないのだから)
「いや、はい・・・それはそうなんですが、なんとか切り抜けてご迷惑にならないようにしたいんです。なにかお知恵を拝借できませんか?」
と声を押し殺すように、ゆっくり伝えた。
担当者はしばらくの間考えていた。
30秒くらいだっただろうか。
口を開いた。
「・・・ないわけではないです。切り抜ける方法」
えっ!マジで(といいそうになった)
実際は、
「えっ?あ、そうなんですか。ぜひ、教えてください」だ。
「ただし、先に言っておきますが、相当難易度高いですよ。うまくいかないことのほうがほとんどですから」
内容はこうだ。
「償還予定の5000万円を借りて、それを返す」
????
何を言っているのだ、この人は。
例えるなら、10万円借りて、毎月1万円ずつ返済している友人から、その1万円を“その友人から”借りて、“その友人に”返すというのだ。
何も起きないだろうと思われるかもしれない。
個人の場合はそうだ。ただの行って来いに過ぎない。
だが、銀行の場合は違う。
「借入金の種類」を変えることができるのだ。
私募債から普通の長期借入金に変更できる。
つまり、「返済時期を延長できる」のだ。
即座にこの案に飛びついた。
他に何の手立てもない。
まさに、「蜘蛛の糸」だった。
しかし、そこからがなかなかの地獄だった。
1日、3回は通ったかもしれない。
さながら1年目の新人に戻ったような気分だった。
ある程度まで資料を作ると、銀行へ行き、添削してもらう。
それを何度も繰り返した。
営業の頃をふと思い出した。
コンペに勝つために、密かにやっていた手法だ。
「提案書」✕「80%」
普通は100%完成させて、提出する。
しかし、内容が✕だった場合、そこで終わってしまう。
もちろん、正解を100%抑えているならこれでも構わない。
ただ、そんなことはまずもってありえない。
どれだけヒアリングをしていたとしても内容に齟齬が起きるのが常だ。
人間はそこまで完璧ではない。
このスタイルのヒントになったのは社会人1年目のときの経験だ。
今では、もうAIがやることかもしれないが、とにかく毎日「議事録」を書かされた。
社会人としての文章の書き方を身につけるためだった。
このとき幸いなことがあった。
直属の上司が非常に面倒見の良い人で、厳しいながらもいろんなことを教えてくれる人だったのだ。
「いいから、一回自分なりに書いてみろ!」
と言われ、議事録を書く。
それを見せると、上司は赤ペンを取り出して、赤を入れる。
「ほら、これで書き直してみろ」
その通りに打ち直し、提出する。
こんなことが何度もあった。
もちろん、めんどくさいと何度も頭をよぎった。
だが、このことを思い出したとき、ふと思ったのだ。
「そうか、相手が修正したものは、その人にとっての“正解”になるのだ」
ある程度まで書き進める。
顧客にアポを取り、途中経過を見せ、赤ペンを渡して、「チェック」をお願いする。
ちゃんとしたものを作りたいので、お願いしますと。
このスタイルで手こぼれした案件は「0」だ。
(人手不足で断ったことは除いてだ)
この手法を銀行向けに使ってみよう。
そう思い、とにかく日参したのだ。
そして、2ヶ月半が過ぎたころ、ようやく資料は完成した。
新たに5000万円を借り入れる、しかもその銀行に返済するための借入。
改めて考えても無茶苦茶な資料だ。
そして、提出後、しばらくしてみずほから呼び出された。
支店長が会うという。
なんとなく、「またこんな感じになるのか」と頭をよぎった。
そして、1人で来いと。
さすがに今度は無茶苦茶怒られるだろう。
何を馬鹿な資料を出しているのか、銀行を舐めているのかと。
でも、お叱りをするのに支店長が出てくるだろうか。
こんなベンチャー企業の金庫番風情相手に。メガバンクの支店長が。
出てきた言葉は、やはり想定外だった。
「いいですよ、これで行きましょう。審査部に話を付けておきますから。
たぶん、通ると思います。」
後に教えてもらったことだが、支店長は審査部出身だった。
事前に根回しをしてくれていたのだ。
・・・
人生で初めてのことはだれしも意外と限られている。
そんな稀有なことがある日、わずか50センチほどの先で起きた。
朝一番、席に座ろうとした瞬間、銀行から1本の電話がきた。
ネットバンキングの画面を開いて確認してほしいという。
なんだろう?
不思議に思いながら、ウェブページを開き、入出金画面に進んだ直後だった。
5000万円の振込が記載され、そして1秒も立たないうちに、同額が出金になった。
????
何が起きたのかを理解しようとし始めた、その直後に再び銀行から電話がきた。
「確認していただけましたか?これで私募債の償還の件は大丈夫です」
少しフラッと身体が後ろにぐらつくのを覚えた。
ep7.パチスロメーカー ~悪魔の再登場 、「パチスロ」✕「SPC」
住宅メーカーを経て、今度は遊技機業界に入った。(無論、金庫番だ)
学生時代にほんの少しだけやった限りで、遊技機の知識は皆無だったが、知らない業界を知っておきたい。それも「財務の側面」で。その思いのほうが強かった。
遊技機業界は本当に特殊な業界だ。外からではまず知ることはできない。
特に管轄が警察であるという点だ。正確には警察庁(国家公安委員会)だ。(住宅メーカーは国交省、システムは経産省など大半が省管轄の中、酒造業界(国税庁)と同じく庁が管理している)
警察が管轄する理由は、対象となる法律が「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)」だからだ。つまり、パチンコ・パチスロは「風俗業」なのだ。(ちなみに、競馬などの公営ギャンブルは、競馬:農水省、競輪・オートレース:経産省、競艇:国交省、宝くじ:総務省、toto:文科省と分かれている)
随分特殊な業界だなぁと思いつつも、自分の仕事は金庫番。
別に警察に赴くこともないし、さほど気にならない日々が続いた。
しかし、それはある日、突然だった。
何の前触れもない。
社内にこれはマズイという雰囲気が蔓延した。
「警察のトップが変わる」
金庫番を2、3年携わったころにようやく知った「金融庁のトップ交代」と同じだった。
トップが変わるのは単に人が変わるだけではない。
「意向」が変わるのだ。
銀行の場合、最悪「○○業界には資金提供するな」という御触れが出る。
遊技機では、いわゆる出玉規制がそれに該当する。
出玉規制は、そのまま現在開発している機種のやり直しを意味する。
以前のルールのままでは、許可が絶対に下りないからだ。
こうなると製造業特有のリスクが一気に覆いかぶさってくる。
日銭がないという致命的な短所だ。
銀行の対応が変わるまでにさほどの時間は要しなかった。
何かいい切り抜け方はないか。
社内で経営層にそう訊ねられたが、そんな簡単に思いつかない。
なにせ、ドがつく素人だからだ。
ただ、その素人である自分には遊技機は、「自動販売機」に思えた。
極稀にだが、ルーレットの付いた自販機があるが、あのイメージだった。
そして、「不動産」にも似ている。
不動産は建てて売るだけではない。
すでに立っている物件を購入し、収益価値を上げて売却するスキームがある。
遊技機ってどことなく似ていませんか、とだけ伝えるのが精一杯だった。
そうして出てきたのが、
「遊技機」✕「SPC」
だ。
遊技機を不動産に見立て、ホールに設置する。
その際、ホール側には費用が発生しない。ユーザーがその機種で遊ぶことで、売上が立つ。
この売上から諸経費を除いた収益をホール側と折半するという仕組みだ。
この仕組みを運営するために、新たに「SPC(特定目的会社)」を設立し、そこに投資家から募った資金を入れ、売上も入れて管理する。一般的な法人と同じように、監査法人による監査も必要になった。
こうして、5億の資金調達と毎月数百万円の日銭が入る仕組みが出来上がっていった。
ep8.初の書籍出版 三度目の「0」 ~「ビジネスモデル」✕「中小・ベンチャー」
金庫番という職について気がつくと10年以上の時間が過ぎていた。
あっという間だった。
また、なんとなくだ。なんとなく、「独立」することを決めた。
そして、真っ先に思い立ったのが「出版」だった。
個人には何の「ブランド」も「盾」もない。
本を出すことで、看板になる。そんなことを聞き及んだからだ。
今でこそ、普通の資料を作るように当たり前のように出版企画書を出しているが、初めて本を出すことを決めたときは本当に心を折られまくった。
都合7社は回ったはずだ。全部✕。
文字通り取り付く島もない有り様だった。
思い出したくもない記憶なので、今となってはもうあいまいだ。
脳も随分と気遣ってくれているようだ。
そもそも企画書の書き方すらおぼつかなかったのだから当然と言えば当然の結果かもしれない。
まったく話にならない内容であっても出版社の人は大人の対応をする。むしろそれが痛々しかった。
1年目どころか0年目なのだから仕方がないのだが。
いろんな業界で散々な経験を積んできたにもかかわらず、また「0」からスタートを味わうことになった。
当初は「会計関連」のテーマで臨んだ。
資金繰りとか決算書の読み方とかそんな感じだ。(今なら手に取るようによくわかる。100%通るわけがない。少々言葉がよくないが、自費出版でやるレベルだ)
何がマズイのか。自分ではまったくわからなった。
気がつくと、最寄り駅のすぐ近くの書店にいた。
そもそも本になる内容ってどんなものなのだろうか。
人生のほとんどが「本を買う立場」だった。
「本を書く立場」のイメージが全く出てこない。
そして、ビジネス書の棚をなんとなく眺めていたときのことだった。
いわゆる平積みになっているものを順に見ていると、ポップがついているものがいくつか目に入った。
「へー、こういうのが売れているのか」
と頭の中で呟いたとき、「あれ?」となった。
・・・なんか、共通点があるな。
無論、そのときはまったくわからなかった。
そして、システム会社時代から強い興味があったビジネスモデルの棚に目を向けたときのことだった。金庫番時代に散々会計関連の書籍を買い漁っていたが、それ以外には目を向けていなかったこともあって、随分新鮮な印象を覚えた。
「ビジネスモデルの本っていろいろ出ているんだなぁ」
どんな企業の事例が出ているんだろう。と何冊か手に取ってみた。
そして、気がついた。
「なんだ、どこも同じ企業ばっかりだな。
アップルとかTDLとかアマゾンとか大企業とか有名企業しかないな」
その直後だった。「!」が降りてきたのは。
そうか・・・「ビジネスモデル」✕「中小・ベンチャー」だ!
大儲けしているのは何も大企業や有名企業だけではない。
中小零細企業でも何億と稼いでいる先はいくらでも存在する。
ただ、有名ではないだけだ。(対国税のこともあるのかもしれないが)
そもそも大企業の話なんて聞いたところで、ほとんどの人には真似できない。
参考にもならない。知識で終わる話だ。
無我夢中で企画書にまとめ上げた。
本を出したい。そう思い立ってから気がつくと1年半が過ぎていた。
そんなときに出会ったのが、この企画を承認してくれた自由国民社さんだった。
連絡を受け、本社に赴くと、
「もう、社内の根回しが済んでいて、あとは社長の決裁を取るだけです」
と、一瞬理解できない話が冒頭に飛び出してきた。
頭の中は完全に「????」だった。
しばらくフリーズしていると、編集者の方が
「ちょっと変更をしてもらう必要があるかもしれませんが、おおよそのこの企画内容でOKですよ。これで行きましょう。必ず承認取りますから、少しだけ時間を下さい」
と続けた。
2週間後、一通のメールが届いた。
「承認が下りました。改めてお打ち合わせさせてください」
それから7年。
有り難いことにさらに4冊の書籍を手掛けることができ、今もその最中にいる。
ep9.トーマス・エジソンは正しかった ~「才能0」✕「発想」、そしてエンピレオへ
出版を重ねながら、もう1つ解決したい大きな課題があった。
より確実な「発想法の確立」だ。
ビジネスアイデアに関する情報はそれこそ数多存在する。
書籍ベースでも同様だ。
なぜ、いいアイデアが出てこないのか。
この問いへの答えはどうすれば作れるのか。
そもそもいいアイデアが出てこない原因は何なのか。
過去も振り返っていた。
よくあんなアイデアが思いついたなと。
一体、どこから出てきたのだろうか。
いくつもの問いが頭の中を何度も駆け巡る日々が続いた。
当初は、既存のフレームワークでいけるのではないか、そう安易に思い込んでいた。
しかし、何かしっくりこない。
例えば、有名な「ビジネスモデルキャンバス」。
ビジネスモデルを考えると言えばというくらい有名だ。
ビジネスモデルを構成する9つの項目を埋めれば完成するという非常にシンプルで、
誰にでも使える非常に優れたフォーマットだ。
だが、どうにもピンとこない自分がいた。
9つの空白がある。
それを埋めるだけでいい。
試しに思いついていたいくつかのアイデアを埋め込もうと試みたが、途中で止まってしまう。
そして、ふと思った。
なんか、学校のテストに出てくる「穴埋め問題」みたいだな・・・
テストの問題の形式には、大きく4つある。
・正誤問題(○か✕を選ぶ)
・選択式
・記述式
そして、穴埋めだ。
正解を知っている(事前に勉強している)ならば、どの形式で出題されたとしてもなんとかなる。
しかし、ビジネスアイデアの場合、自分が経験してきた業界の知識などはあるものの、新しいビジネスについてはそうはいかない。
もちろん、このフレームワーク自体が✕なのではない。
自分で考えたアイデアを空白に埋め込んで、果たして整合性が取れるか、ビジネスとして機能するか。文章の「空白」を埋めて、現代文のテスト問題のように前後の文脈から正しいかどうかを判断する方法としてはこれ以上のものはない。
しかし、新しいアイデアはそうはいかない。
いろんなものが抜け落ちている。そもそも何を当てはめればいいのかがわからない。
該当する知識がないものにとっての福音は「正誤式」と「選択式」しかない。
ビジネスアイデアという性質上、○✕は当てはまらない。
そう、「選択式」が必要なのだ。
これだ。
完全に確信した。
選び出せる状態、つまり「選択できる」状態を作る。
これであればより正解に近いものを導き出せる。
そして出てきた仮説が、
「才能0」✕「発想」
だった。
アイデアの発想といえば、どこか「センス」や「才能」のようなものが求められている印象がある。
しかし、事前に選択肢を用意しておけば、(もちろんそれでもセンスのようなものが求められるのかもしれないが)たとえ知識が0であったとしても正解に近づくことができるはずだ。
これを実現するために2つのものを用意する必要があった。
トーマス・エジソンでいう、“1200種類もの竹”と”それを当てはめる対象”だ。
上述の「フレームワークの項目」だ。
ビジネスを構成する要素。
既存のフレームワークには項目数の点でも物足りなさを感じていた。
そこで2000ほどの事例を集めた時点で、分類を試みた。
(このときまた「地獄の門」が開いたとはゆめゆめ気が付かなかったが)
当初、2000個の事例を「商品」と「サービス」に分類することからスタートした。
なんとなくだが、構成要素が異なるだろうと。
やはり異なるようだ。それぞれ18個の構成要素に分類することができる。
いくつもの成功例を分割して、当てはめてみた。
どうやら問題はなさそうだ。
そして、このフレームを用いて、セミナーや個別相談を開催していった。
・・・
それから2年ほど時間が経過したころ、新しい書籍の承認が降りた。
書籍のテーマは、新しいビジネスの発想。これまでと同じだ。
その打ち合わせの中で、この話題が出た。
「何かビジネスの中身がわかるような図解ってできないですか」と。
おおっ、これだ!と思い、すかさず18個のフレームワークを見せた。
だが、わかりにくいという。
ビジネスに詳しい人向けになっているという指摘を受けた。
・・・ショックだった。
完全に言葉に詰まった。
一体どうすればいいのか。
散々時間を投下してセミナーや個別相談でも運用してきたのに、わかりにくいのか・・・
はたと立ち止まった。
そういえば・・・たしかにセミナーに来てくれた人や相談してきた人は皆詳しい人が多かったなぁ・・・
しばらくして、2つの言葉が頭をよぎった。
「視野狭窄」
「サンクコスト」
だ。
すっかり埋没して、自分の考え自体に執着しきっていたのだ。
「何か、いい方法はないですか・・・」
自分の知っていることなどたかが知れている。
オンライン画面で打ち合わせをしながら、正直に吐露した。
すると、編集者の方から思わぬ答えが返ってきた。
それが、フィリップ・コトラーが提唱した「プロダクト3層モデル」だった。
ただ、このままだと使えないと思いますと。
編集者の方も、「項目が少なすぎてすべてのビジネスに当てはまらない」と感じていたのだ。
さらに3ヶ月くらいかかっただろうか。
もう覚えていない。
手元に集めた事例をひたすら当てはめながら、「最大公約数」を導き出す日々が続いた。
結果的に書籍には使われなかったが、それでも最高のものが手元に残った。
それが、「新・プロダクト3層モデル」(https://financial-note.com/p3_model100-2/)だ。
現在、50個までサイトにアップしている。
取り急ぎ100個まで掲載する予定だ。
・・・
新しいプロダクト3層モデルを創り上げたが、まだ一抹の不安が残っていた。
本当にこれでいいのだろうか。
本当にこれで正しいのか。
特に、「選択式」だ。
本当はもっと、パッと簡単にビジネスアイデアが浮かぶ方法が存在するのではないだろうか。
自分だけが知らないだけではないのか。
駆り立てられるように、区の図書館に向かっていた。
(書店ではない。書店だと、新書や刊行から日の浅いもの、売れているものに限定されてしまう)
そして、ある本に巡り合った。
ビズリーチ創業者の南壮一郎の創業時のエピソードをまとめた1冊だった。
まったく、まったく同じであった。
あらゆる方法を洗い出し、1つずつ当てはめていく。
まさに、トーマス・エジソンの方法で、あの成功は生み出されていたのだ。
不安が完全に確信に変わった瞬間だった。
・・・・
あらゆる成功例について、どのように考えればたどり着けるか。
今、この流れが説明できる。
そして、そのフローを応用して別のモデルを生み出すことができる。
しかも、複数の、別の成功例の構成要素を援用して。
現在、ここに立っている。

