プロフィール

「新しいビジネスモデルの発想とヒント」運営管理
「儲けのしくみ」「小さなビジネスモデル100」著者
フィナンシャル・ノート代表 酒井 威津善(さかい いつよし)
プロフィールサマリ

なぜ、新しいビジネスの発想について発信しているのか
「あの会社行ったらあかんで」
会社に戻り、先輩への報告で返ってきた言葉はあまりにも想定外だった。
とにかく、大阪中の会社回ってこい!
今ならかなり問題になりそうな理不尽な業務命令に、1つの顧客も持たない自分はただ従うしかなかった。来る日も来る日も大阪中の名のある会社を回った。
有り難いことだが、会社に知名度があったおかげでアポイントだけは取れた。
しかし、問題はそのさきだった。
受付を済ませるとかならずといっていいシステム部の責任者がほど出てきてくれた。そして、こう言われた。
「おまえんとこ、今なにしてんの?こいつら、なんでこうへんの?」
と言われながら、古い名刺を何枚も並べられた。
多くが昔顧客だった企業で、しかも「やらかして」いた先だったのだ。
やらかしたまま、音信不通。諸先輩方はひどすぎる対応をそのままにしていたのだ。
何も事情を知らない新人の自分がのこのこと出かけていき、怒られる。
顧客が怒ってくるのも当然だった。
もちろん、中には、「何も知らんあんたにいうても仕方がないけどな。でもな、会社に戻ったら伝えてといて。ちゃんとしてって」と穏やかに話してくれる人もいた。
だが、結局「やらかして」いることに変わりはなかった。
何度もそんな目に会いながら、ある日会社に戻って報告したとき返ってきたのが冒頭のあまりにも理不尽な言葉だった。
「どこ・・行ったらいいんですか?」
怒りを噛み殺しながら、絞り出すように尋ねると、
「うーん、大阪の会社でウチのこと知らんとこないしなぁ。残ってるとこ、もうないんちゃうか」
なんやそれ!ないのに回ってこい!ってどういうことやねん!
会社も知れ渡っているから、あるときなどは電話で、
「会社の説明にあがりたいんですが・・・」
「はぁ、おまえんとこなんか、おまえよりよう知ってるわ!」
と言われる始末だった。
大阪の会社回ってこい!でも、大阪にある会社を回っても無駄。全部行ってる。下手すれば、「やらかして」いる先だったりする。完全に出口なし。どうせーちゅうねん。
大阪で行くとこないやんけ、と苛立ち混じりの言葉が頭の中をよぎった直後だった。
「大阪でいくとこない?・・・大阪以外やったらあるちゅうことちゃんうんか」
頭の中がスローモーションになった。
「ま・さ・か、地方に行けばええんちゃうか」
「地方やったら大手のベンダーもわざわざこうへんやろうし」
1つの仮説ができた瞬間だった。
「地方」✕「大手Sier」
という掛け算だ。
仮説は当たっていた。
オンラインが一般化した現在ではもう通用しないコンセプトかもしれないが、対面が当然だった当時(今から30年前)は、地方にわざわざ出向く大手のシステムベンダーは皆無だったのだ。
このコンセプトを引っ提げ、最初に赴いたのが当時まだ山口に本社があった「ユニクロ」だった。大阪から5時間。新幹線とタクシーを乗り継ぎ提案に行った。
後にローソンのトップになる玉塚氏が出てきたのは今も昨日のことのように覚えている。
大阪から来たと伝えると、予想通り驚かれた。当時、最寄りの駅からタクシーで30分もかかるところに本社があったことで、システム会社はほとんど来ないという。仮説どおりだった。
ユニクロを皮切りに、岡山、京都、名古屋(の外れ)、川越など地場に大手ベンダーがいないところをとにかく回った。
仮説はもう1つあった。
1つめの仮説が動き出した直後の知人の話がヒントになった。
「地方って、結構上場前の企業多いよな。地方で結果出してから、上場を果たして、そして東京へ進出する流れみたい」
「地方」✕「上場準備」
という掛け算だ。
へー、そんなもんかと聞いたときは思ったが、実際は全くそのとおりだった。
ユニクロ以降訪問した地方企業は7社あったが、訪問から1年以内にすべて上場を果たした(7社とも現在も隆盛を誇っている)。
上場を準備している。
だから、それに合わせたシステム改変が不可欠だったのだ。
しかも、それ用に資金を準備しているおまけ付きだった。
言うまでもないが、大阪にそんな企業は存在しない。
結果を出しているから大阪に拠点を構えているのだ。
「地方」✕「大手Sier」
「地方」✕「上場準備」
この2つの仮説で生み出すことができた売上は、3年で40億以上になった。社長賞も取ることができた。
・・・
仮説の実行はそう容易くはなかった。
山口に行きたい、直属の上司に伝えると予想通り、
「はぁ、山口?交通費なんぼかかんねん。そんなアホなこといってんと大阪市内回ってこいや!」
大阪回っても案件ないやんけ!だから地方行くいうとんねん!
と心の中で叫んだが、もちろん口にはしていない。
さらにもう1人上がいたが、同じ答えが見えていた。
あかん、こうなったら部門トップに直談判しかない。そう覚悟した。
当時自分の部署には200人ほどいた。そのトップだ。
挨拶くらいしかしたことがなかった。雑談もロクにしたことがない。
あまりにも遠い存在だった。
だが、もう直訴しかない。
さながら、足尾銅山鉱毒事件の田中正造の気分だった。
今も部門長席までのたどり着くまでの間の記憶がない。
気がつくと、部門長席に直角の向きに据え付けてある相談用の椅子の前に立っていた。
何をどう話したのかも覚えていない。
だだ広いフロアのちょうど真ん中、唯一窓を背にして設置している部門長席の前に棒立ちになりながら、必死に伝えたのだろう。いい終わったあと、我に返って、
「もしかすると、子会社に飛ばされるかもしれない」
「直属の上司と同じように、何の結果も出してないくせになにが山口だと言われるかもしれない」
そんなネガティブな言葉がなんどもなんども頭を繰り返しよぎったことだけはよく覚えている。
だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「案件はあるんか?」
あるかどうかわからないとは言えない。あくまで仮説だからだ。
でも、ここでありませんと言ったらすべてご破産だ。
「あると思います」
なんとも歯切れが悪い言い方を絞り出した。
「そうか、あるんか。わかった。
おまえがあると思うんやったらあるんやろ。
理由はそれで十分や。行って来い。
山口でもどこでも好きなとこへ行って来い!」
どのくらいの時間だったのかわからない。
しばらくの間呆然としてのち、ハッとして、
「えっ、でも新幹線代とかすごくかかるんですが・・・」
と答えた。今、思えば変な言葉だ。
直訴しておいて、いいと言われたのに、ダメな理由を自ら口にしているのだ。
部門長は少し笑いながら、
「おまえの仕事は何や?新しいお客さん探してくることやろ?せやろ?」
「はい、そうです」
そう答えると、部門長はすっと立ち上がってフロアを指さしながら、
「酒井、見てみろ。みんな必死に仕事しとるやろ。
今、みんながやっている仕事は、今から3年前、5年前、今のおまえのようにだれかが必死の思いで取ってきたもんや。だから、今、仕事があるんや。
ええか、おまえの仕事はそういうことや。
おまえの仕事は、この会社の3年後、5年後を創ることや。
新幹線代みたいなしょうもないこと気にするな。
今後はオレの許可もいらん。
おまえの気が済むまでどこでも好きなだけ行ってこい!」
どうやって自席に戻ったのかも覚えていない。
気がつくと新幹線の回数券を手に握っていた。
そして、隣席にいた直属の上司が怖い顔で睨んでいるのが視界の端に見えたが、どうでもええわ。そう思えた。
あとで知ったことだったが、当時部門で動かしていた大規模案件のほぼすべてをその部門長が1人で取ってきたものだった。
「同じとこにじっとしてたら会社は死ぬんや。
失敗してもええから動け。そうしてたらなんか見つかるはずや」
30年経った今も、部門長のこの言葉が私の原動力として染み込んでいる。
