なぜ、企業は不正会計に手を染めてしまうのか

なぜ、企業は不正会計に手を染めてしまうのか

東芝のニュースを耳にしない日はない。しかし、東芝に限らず、過去にはいくつもの有名企業によるこうした事例もあり、残念ながら今に始まったことではない。なぜ、企業は不正会計に手を染めてしまうのだろうか。

なぜ、不正会計に手を出してしまうのか

不正会計に手を染めてしまう原因は大きく2つある。1つは、様々なところで指摘されている通り、「業績の悪化を隠したい」だ。東芝のような上場企業であれば、証券取引所、株主、取引先など多岐に渡り、国内法人の大多数を占める中小企業であれば、金融機関などに対して、その実情を知られたくないからに他ならない。

業績が良くない−。一度その話が出れば、取引先を始め、多くの利害関係者が身構えるだろう。程度によっては、取引停止や取引条件の見直しに繋がってしまうかもしれない。東芝のような上場企業であれば、株価に、そして経営者の評価に、非上場企業であれば、次の資金調達に影響するかもしれない。そうしたことが頭をよぎり、本来であればその実態を明らかにし、対策を講じることを伝えるべきなのにも関わらず、現実から目を背けてしまうのだ。

そして、もう1つの原因が、「そうした行為に対する歯止めが効きにくい背景の存在」である。

なぜ、止めることができないのか

止められない背景の1つとして、ガバナンスの不在、もしくは機能していないのではないかとの指摘もあるが、それだけに留まらない。実務レベルで考えたとき、まだ少なくとも2つの問題がある。

1つは、会計システムが含有する問題だ。大企業で利用されるような業務統合パッケージやフルスクラッチのシステムから、果ては中小・零細企業で使われる会計パッケージソフトにまで共通する。

それは「不正に処理された仕訳」なのか、それとも「単純な処理ミス」なのかを機能的に線引できないという問題だ。特に、中小・零細企業が利用する会計ソフトの場合など、広く販売されるために、どうしても汎用性が要求され、優先される。結果、ソフト開発会社サイドで処理そのものへ強い制限などを設けにくい。せいぜいが、一度締め処理を行なえば、以降の修正ができなくなる、各処理に対する承認フローを持たせるくらいだ。

例えば、売上の計上時期。過去の取引とマージして、従来であれば毎年2月に計上されていたものが、今年に限って会計年度をまたぎ、翌期4月に計上する。こうしたことは、取引先の予算消化事情や経営状態等において、日常的に発生する。

これを取引先の事情によるものなのか、それとも「意図的にズラした」ものなのかを会計ソフト側で判断することはまずもってできない。仮に出来たとしても、過去数年分の取引内容と比較して、明らかにタイミングが異なる、といったアラートを管理者向けに通知するくらいだ。しかし、現実的には改ざんそのものを現場担当者が自分の意志で行なうことはほとんどなく、管理者や経営者が指示し、そのようにさせるため、こうしたアラート機能があったとしても、運用面では全く意味をなさない。

もう1つの理由は、会計原則が及ぶ範囲の問題だ。会計原則は、標準化されたルールによって、利害関係者が企業状況を把握するための「共通言語」だ。しかし、我々が日頃使用する言語と同じく、その言葉を知っているからといって、その対象を正確性を以って表現するには限界がある。

会計原則の厳格なルールに則ったとしても、その実態を正しく表すことは極めて困難だ。わかりやすい例では、「黒字倒産」というのがある。適切に会計処理を行なった結果、利益は黒字となった。しかし、肝心なキャッシュがおぼつかない。これを補完するためにキャッシュ・フロー計算書があり、不適切な処理を防ぐ機能として存在するものの、それでもなお、「そうなってしまった原因や背景」、「それをもたらした企業の仕組み」までも含めて網羅的に言説することはできない。

これは、会計原則の本質的な欠陥ではない。言うまでもなく、そもそも利用目的が違う。会計原則は、決められたルールに沿って、全ての企業が適切に帳簿を作成するためにあるのであって、不正防止のために存在するのではない。

しかし、ここに落とし穴がある。不正な会計処理であっても、「会計処理としては正しい」場合が存在しうることだ。これを実務の現場に直接的に、リアルタイムで携わることなく見抜くはあまりにも難しい。会計に精通した人間が意図的に操作してしまえば、会計のプロである会計士でもそう簡単には見抜けない。結果、実態としては正しくないのに、会計上は正しいといったグレーゾーンのようなものが、粉飾という「魔」をおびき寄せてしまう。

不正会計は薬物と同じ

一度、不正会計に手を染めてしまうとそう簡単には元へ戻せない。なぜか。これにも2つの理由がある。

一つ目は、元に戻す勇気が持てないことだ。その最大の理由は、「取り返しのつかない信用の失墜」だ。過去に出したものは間違いである−。一度でもそう言ってしまえば、誰も二度と信用しない。積み上げた実績の全てが気泡に帰る。この恐怖は想像以上に大きく、強いプレッシャーを与える。

二つの目の理由は、「犯罪ではない」ことだ。不正に作成された決算書類を以って、金融機関などから資金調達を行なったり、投資を募ったりすれば、間違いなく「犯罪」である。しかし、実態と異なる会計資料を作成すること自体は、純然たる犯罪ではない。仮に意図的にそのように作成したとしても、それによって利益等を得なければ犯罪ではない。

しかし、いわんや、単に作成しただけで留まることはない。結果的には外部に出され、関係者の目に入る。先程述べた通り、そうした不適切な書類を作成してしまう「行為」そのものを止める客観的な、強制的な手立てがないからだ。各期末において会計士によるチェックを受けるのが限界であり、リアルタイムにそれを押しとどめる手立てはない。

結果的に、経営者の自律性に委ねるほかなく、行き着く処まで行ってしまうのが現実だ。

不正会計に手を染めてしまった企業の末路は、「多重債務者」や「薬物依存」のそれと同じである。一度手を染めてしまえば、そう簡単に抜け出せない。あるとすれば、白紙に戻す、つまり多重債務者でれば自己破産、薬物依存であれば、関連施設に入り、ライフスタイルそのものを一から構築しなおすほかない。

現時点で、事業の分社化や売却を進める東芝の様子は今まさにこの道を進んでいる。